Violinist HISAYA SATO Official Website

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知られざる作品の紹介


「知られざる名曲を紹介する・知られざる作品を広める」という僕の演奏活動において、
前から継続している2つの「信条」があります。
それは、

・ 暗譜で演奏する

公開演奏の際、スコアがすでに演奏家の頭の中に入っていて、音楽そのものに没頭できるのが理想であり、
偉大な演奏家や指揮者が公開演奏の際での暗譜の必要性を唱えていることは実証済み。
楽譜(楽譜にある書かれた符号や印刷された音符)を読む作業というのは、
曲を研究・準備するときや確認するときに意識的に行なうものであって、
公開演奏の際にその印刷されたオタマジャクシに従属することは、部分的にも注意が外されていて、
それが部分的にも音や呼吸にも表れ、完成された芸術とは関係ないもっとも大きな「視覚的障害」であります。
要するに、音楽は、演奏家にとっても聴衆にとっても、人工的でなく自然であって、生きていて、
ハートそのものであるということ。
暗譜の有利なことは、演奏の際に、耳や目が敏感になり、音楽そのものをイメージし没頭できるということ。

・ 自分自身でプログラムの解説文を書く


佐藤久成ヴァイオリン・リサイタル~2008年5月6日 於:東京文化会館(小)

現段階(3月)でのこのホームページでの下記の文章は、
楽曲の研究過程、練習の途中段階での文章ですので至らないところがあるかも知れませんが、
曲と接する中で、思ったこと、感じたことを綴っていきたいと思います。
最終的には、5月6日のリサイタルのプログラムに掲載する解説文をお読みいただけると幸いです。

ヴィクトル・ヴルース(1876.2.4 Verviers ~ 1944.7.26 St Josse-ten-Noode, Brussels):
ヴァイオリン・ソナタ ロ長調 *日本初演


 「フランクとルクーのヴァイオリン・ソナタを知ってて、まだヴルースのヴァイオリン・ソナタを知らない??!!」
 ベルギーの作曲家によるヴァイオリンとピアノのためのソナタは、有名なセザール・フランク(1822~1890)が1886年に書いた「イ長調」、ギョーム・ルクー(1870~1894)が死の2年前に書いた「ト長調」が知られていますが、それらに勝るとも劣らないベルギーの知られざるヴァイオリン・ソナタをお届けします。
 ヴルース(あるいはヴレウルス、ヴレウレス)という発音は、NHK出版の「新・外国音楽家の呼び方(作曲家編)」を参考にしました。
もともとヴァイオリニスト、指揮者としての活動が主だったヴルースは、作曲家として歌曲や管弦楽作品のほか数曲のオペラも書いていますが、中でも室内楽作品に充実しているものが多く、ヴァイオリン・ソナタを2曲書いており、1901年に出版された「ロ長調」、1919年に出版された「ト長調」があります。彼の作品は長らく絶版になっており、現代ヴァイオリニストのレパートリーからは消え去っているという状態です。

 ヴルースの作風は、楽譜を見た限り、同じベルギーの先輩作曲家であるフランクの伝統、ルクーの熱情と叙情性、あるいはショーソンの詩的な響き、マニャールの内的精神性などにも近いように思います。また、ワーグナーの半音階技法や大胆な管弦楽法の影響も見受けられます。

「フランキスト」としてフランクの影響を多分に受けたヴルースによって、
ベルギー出身の名ヴァイオリニストであるウジェーヌ・イザイに献呈されたこの「ロ長調ソナタ」は、
大きな門構えによる3楽章制で書かれており、循環形式が使用されています。
第1楽章:Anime 第2楽章:Lent 第3楽章:Anime
特に第3楽章では、ワロン地方の民族音楽からのモティーフ使用が認められます。





フバイ:チャルダッシュの情景 第11番 作品82 「柳の枯れた枝」
フバイ:チャルダッシュの情景 第2番 作品13 「私の小さな笛」


 今年2008年はイェネー・フーバイ(1858~1937)の生誕150年の年にあたります。


近代ハンガリー・ヴァイオリン流派の明確な確立は、ブダペストにおいて、イェネー・フバイ(フーバイ)の教育によって生まれました。
 フーバイは、同じハンガリー人のヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)の弟子でしたが、ヨアヒムは生涯の多くをベルリンで過ごし、シューマン、ブラームスとの親交によりドイツ音楽の伝統に基づいて活動したのに対し、フバイは、フランツ・リストとデュオを組み長期間各地を演奏旅行をしたりしたが、強烈な愛国心を持つフバイは、故国の民族的条件の中で活動したいと考え、23歳になった時、故郷のブダペストに帰り、リストが創設したブダペストのリスト音楽院で多くの優れた弟子を育て、また、数多くの作品を書き残しました。
 師弟関係にあった同じハンガリー系ユダヤ人ヴァイオリニストの2人、フバイとヨアヒムの違いを探してみると、まず、ブラームス派とリスト派に二極化された当時の音楽界の構図が見えてきます。ヨアヒムは絶対音楽的なブラームス派、フバイは標題音楽的なリスト派、ヨアヒムは弦楽四重奏を主宰、フバイは独奏家、ヨアヒムの作品はそれほど多くはないが、フバイは多作家・・・などなど。

 フーバイは、オペラ、交響曲、歌曲、4つのヴァイオリン協奏曲、全14曲の「チャールダーシュの情景」のほか、おびただしいほどのアンコールピースを書き残していますが、それらは彼の死後、急速に忘れ去られています。
それらほとんどが絶版になっており、いま現在、フバイの作品で出版され、たまに演奏されるものといえば、
「そよ風」、「ハイレ・カティ~チャールダーシュの情景第4番」、「カルメン幻想曲」、「クレモナのヴァイオリン弾き」ぐらいでしょうか。

「チャールダーシュの情景第2番と第11番」は、ハンガリーの民謡を題材にし、鳥や湖や森などを思わせる自然を音楽に取り入れており、即興的な技法をふんだんに使った、超絶技巧作品です。

 フバイの作品の特徴を一言で表すなら、正に、「ハンガリー・ジプシー音楽」の濃い情念が強烈に見られるということでしょう。
また、現在はほとんど死滅したかにみえる19世紀的ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン奏法とマジャール語の強烈な語法がマッチしているという、ヴァイオリニストにとっては大変に魅力のあるジプシーの空気がたまりません。トランシルバニアのドラキュラ伝説の古城を思わせるような響き・・・。「演歌のこころ」ならぬ「ジプシー音楽のこころ」。
ちなみに僕自身、フバイの孫弟子にあたります。

 フバイは、同郷のバルトークとはウマが合わなかったようです。ところが、皮肉なことに、フバイは音楽院でバルトーク作品の名演奏家を大量に育て上げるという功績を残し(弟子にシゲティ、ジェントレル、マルツィ等)、反面、当時はヴァイオリニストというヴァイオリニストが皆こぞって演奏していたフバイ作品ですが、後年それを取り上げて演奏するハンガリーのヴァイオリニストは稀になってしまいました。なんとも皮肉な話ではあります・・・。

僕は、演奏旅行、絶版楽譜・アンティーク楽譜探し、バカンス・・・と、ハンガリーには田舎を含め何度も足を運んだことがありましたが、フバイの作品に接していると、グーヤシュ、ハンガリーのパプリカ料理、トカイワイン、ハンガリーのビール、古城、湖などなど、ハンガリーの懐かしい匂いで一杯です。ブダペストには10回近く足を運んだでしょうか・・・。また、行きたい・・・。
下の写真は、ブダペストに行った際に買ってきた、
純粋なハンガリー・ジプシーの歌、トランシルバニアのジプシーヴァイオリンのCDジャケットの写真です。